スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2回目のキャンプ生活

先月、工場Bで働き始めたファラ(30代、男性、仮名)は、昨年11月に、ソマリアから逃れてきた。ソマリアでは大学の講師として英語を教え、給料は350ドルで、現在の5倍近く貰っていたという。それなのに、「この工場で働くのは楽しい!」といつも笑顔で言うのは、なぜなのか?

「干ばつで、すべての価格が上がり、私の給料では生きていけなくなりました」と言う。ソマリア南部に昨年襲った干ばつで、畜産業や農業が壊滅的打撃を受け、一杯の牛乳が20円から、250円に跳ね上がったという。

さらに、昨年10月にケニア軍がソマリアに侵攻したことを受け、ソマリア南部を実行支配するイスラム武装組織「アルシャバブ」は「(ケニアの公用語の)英語を話す者は、ケニアのスパイとみなす」とラジオで住民に通達した。10月半ば、武装勢力メンバー3人が、ファラの留守中に家を昼と夕方の2回訪れた。妻が「夫はいません」と告げると、3人は去っていった。
携帯電話で妻から報告を受けたファラは、恐怖で家に戻ることができなかった。サッカーのワールドカップを観戦した者を「西洋に魂を売った」という理由で処刑するアルシャバブに、住民は皆怯え、その組織名を口にすることさえ避けた。「英語の講師である私を捕まえにきたのだとしたら、もうここでは生きていけない」と、ダダーブへ向かう車を手配した。

ダダーブ難民キャンプに来るのは2度目だった。小学生時代に、ソマリア内戦が勃発。夕方、近所でサッカーをしていると突然銃声が鳴り響き、母親に「逃げるわよ!」と遠くから呼ばれた。走りながら、一緒にサッカーをしていた友人が流れ弾に当たり、倒れた。それでも、走り続けた。

そのままダダーブへ家族と行き、ダダーブで小学校、高等学校、教員養成学校を卒業し、2004年、当時、比較的安定していたソマリアへ家族と戻った。

小さな店を経営する両親はソマリアに残り、先週、妻がダダーブへ来て、2ヶ月ぶりに夫婦生活が戻った。
私は「君みたいな能力の高い人は、より良い待遇の仕事があったら、すぐそちらへ行くだろうな」と皮肉ると、「とんでもない!私は、ずっとライフラインにいたいです」という。「なぜ?」と訪ねると、「ソマリアから追われた私に最初に手を差し伸べてくれた場所だし、従業員が皆まじめに働いているのに惹かれます」と答えた。

少し間を置いてから、「それに、、」と、少し改まった表情で、「あなたのような、外国人のNGOの代表が、難民従業員と同じ椅子に座って話してくれるのは、新鮮で嬉しいです」と、白い歯をむき出しにして言ってくれ、彼の身の上話を聞いて痛んでいた心が少し和らいだ。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。