従業員による初めてのボイコットー第五話ー

次の日、モウリドからメールで報告があった。

「工場長の手紙を、きめ細かくソマリア語に訳して従業員全員に読み聞かせました。彼らは理解し、次の日から仕事を再開すると言いました。いつも通り、一筋縄ではいかず、何度も何度も、彼らが理解するまで話さなくてはならず、ミーティングは2時間半にも及びました。彼らは、私が『工場長側にいつも立っている』と非難し、工場長自身か、本部の幹部に直接話がしたいと言いました。私は、工場長はナイロビで大事な会議に出席しているから、来れないことを何度も伝えました」

私は、工場が再開するということに、まず胸をなで下ろした。とにかく、文化も宗教も考え方も違うから、自分の記した言葉が、どんな受け止め方をされるか全く予想ができない。だからこそ、モウリドの存在は、とてつもなく大きい。誤解されそうな表現などがあれば、モウリドは、少しニュアンスを変えて、彼らが理解できる形に翻訳してくれるのだ。

会議は2月7日に終わったが、その後も、ライフライン本部(米国)から来た副代表のバヒドと、ナイロビで仕事が残っていたため、私がダダーブに戻ったのは13日だった。ナイロビの自宅を午前5時半に出て、市内のウィルソン空港から国連機でダダーブへ飛び立ったが午前8時15分。午前9時半にダダーブの滑走路に国連機が到着。約10キロ離れたキャンプにある工場Aに着いたのは午前10時45分ごろだった。工場まで向かう途中、私は「とにかく笑顔」と自分に言い聞かせた。

工場への門を開けると、工場の前では、七厘を配る前の説明会が開かれており、10人の難民が木陰の地面に敷かれたゴザの上に腰を下し、従業員からの説明に耳を傾けていた。工場では、従業員たちが、土と牛の糞を混ぜ合わせ、レンガ作りに励んでいた。私に気付くなり「ヨーコー」と笑顔で挨拶してくる者もいれば、少し気まずそうに目を合わせない従業員もいた。私は、とにかく笑顔を作って、土や糞で汚れた従業員の手を握り、「マフィアン?」(ソマリア語で元気)と話しかけた。

主任のラホは工場の中で、何やら書類に目を通していた。私が来ていることは気付いているはずだが、自分から声をかけてこようとはしなかった。私はラホの所へ行き、挨拶すると、少し歯にかみながら、笑顔で接してくれた。私は、まず、ラホに「今回の事は、モウリドから聞いていると思うけど、本当にすまないと思っている。工場内の問題をすべて、ラホの責任にしてきた。これから、従業員全員とミーティングをして、改めて、自分の想いを話そうと思う」と伝えたら、ラホの表情は少し和らぎ、「わかりました」と頷いた。

従業員の作業が一段落した頃、全体ミーティングを開いた。

「もう、すでに、モウリドから聞いていると思いますが、先週は、大事な会議がナイロビであり、皆さんに直接、自分の想いを伝えることができませんでした。申し訳ありませんでした。皆さんの想いは、モウリドから伝えてもらいました」

 そこまで話した時、1人の従業員が立ち上がり、携帯電話で何やら話し始めた。別の従業員は、隣の従業員と、何やら私語を始めた。「またか」と心の中でつぶやく。自分なりに真摯に彼らに向き合おうとしているのに、彼らの対応が、この様子だと、どうしても真剣に話す気になれない。彼らの緊張感のなさに、事態の深刻さが伝わっていないのかと不安にもなる。

私は、頑張って作り笑いをして「私は、今、自分の想いを一生懸命話そうとしているので、どうか、私語は謹んでください」と、静かに語りかけた。

 「モウリドからは、皆さんがこれまで、私に対して色々な不満を抱いてきたことを聞きました。私がこれまで厳しく接してきたこと。常に小さな失敗を探し出し、滅多に、従業員が達成したことを褒めてくれないこと。もし、他にも何かあるのなら、今この場で話してください」と、従業員に尋ねた。

そしたら、予想通り、リーダー格のモハメドが話し始めた。

「モウリドにも伝えましたが、私たちは、工場長からの謝罪を受け入れ、仕事を再開することにしました。でも、できたら、本部のバヒドと直接話がしたかった。私たちの中に、工場長に密告した者が誰なのかも教えてほしい。そして、これから、主任に関して何か問題があるなら、従業員全体で話し合いをさせてほしい。
 
 これまで、何人もの工場長の下で働いてきましたが、今の体制が一番きついです。私たちは、以前に一度、工場長に『私たちをもっと信頼してください』とお願いしたことがありましたが、その、お願いを聞き入れてもらえなかったようで残念です。これまで、私たちは頑張って工場長からの厳しい指導に耐えてきましたが、今回、密告者が従業員の中から出たことで、我慢の限界に達しました。工場長は、私たちを信頼していないという証だと思ったからです。
それでも、工場長の謝罪を受け入れますし、私たちも悪かったと思っています。もし、もう一度、この様なことが起こった場合、バヒドと直接話しをさせてもらいます」

私は「他の人はどうでしょうか?」と尋ねると、ダヒールが手を挙げた。

「工場長が来てから、以前の工場長時代にはなかった問題が起こる様になりました。それは、従業員同士が信頼し合うことができなくなったということです。さらに、主任の与えられた権限が激減しました。例えば、主任が付ける出席簿を他の従業員が見られるシステムを工場長が作り上げたために、主任は常に従業員の目を気にしながら仕事をしなくてはいけなくなった。

工場長が来てからすぐに、二人の従業員が停職処分を食らった。その内の1人は、故意でやったわけではないのに厳しい罰を受け、私たちが情状酌量を求めても、工場長は聞き入れてくれなかった。私たちが出すアイデアは常に拒絶された。工場長が来た当初、工場長は外部から副主任を新しく連れていて、彼に監視役を勤めさせた。工場長は、私たちが時間通りに工場に来ているか確認するために、午前7時半に工場に来ることもあった。私たちが作ったレンガの数を数え、私たちが嘘を付いていないか、確認していました。

工場長は、ある日、各従業員がレンガをいくつ作ったのか記録するよう提案したことがありました。それは、従業員同士で競争をさせることになり、不信感を増幅させるものになると思い、私たちは拒否しました。

ストライキに入った日のミーティングで、工場長は私に対してとても高圧的でした」

私は、彼らが言う事を一つ一つメモに取り、一生懸命、頷きながら聞き入った。

 私は「皆さん、自分たちの胸の内を明かしてくれてありがとう。信頼関係を作るには、まず、自分たちの正直な気持ちを伝えることだと思うので、感謝しています。そして、これまで、皆さんに私のいないところで、とても大変な想いをさせてしまったようで、とても申し訳なく思っています。

私がなぜ、皆さんに厳しい対応を取らなくてはならなかったのかは、モウリドに渡した手紙にある通りです。ソマリア人に囲まれ、唯一のアジア人で、最初の1ヶ月で二度も騙されました。『もうこれ以上、騙されないぞ』と想い、罰則規定を厳格化し、皆さんの行動を小まめにチェックする様にしました。そうすることで、皆さんは私に嘘をつくことはできないだろうと思ったからです。そしたら、今度は8月に、別の工場の主任の横領疑惑が浮上しました。私の皆さんに対する不信感は絶頂に達し、何としても、もう騙されない様に、皆さんの行動をチェックする様になりました。

私と皆さんの間に信頼関係がなければ、この工場を運営することはできない。従って、私もあなたも仕事を失うことになる。だから、それだけは避けなければならないと想い、私は、騙されない様に必死でした。だから、皆さんを信頼していなかったという事は否定できません。

私は、罰則を強化するだけでなく、皆さんの能力をのばすことで、信頼関係構築をはかりました。しかし、それが、私の意図していない結果につながってしまったようです。例えば、私が、『昔と今の説明会ではどちらが良いでしょう?それはなぜでしょう?』とミーティングで尋ねた事がありました。私は、皆さんに考えてもらうことで、思考能力を高めてもらおうと思ったのですが、おそらく、皆さんからしてみれば『工場長は、私たちが昔やっていたやり方を批判している』という風にとらえてしまったかもしれません。

また、皆さんが『日傘がほしい』とリクエストしたことがありました。私からしてみれば、工場長に就任してから半年以上、一度も傘についてリクエストを受けてこなかったのに、『なぜ、突然?』という風に聞き返し、皆さんの論理的思考能力を伸ばそうと思ったのですが、皆さんからしてみれば、『頑張って考えた末の要望だったのに、また、工場長に断られた』という風に解釈されたかもしれません。私は、皆さんの能力を伸ばすことばかりにとらわれ、皆さんがこれまで達成したことを褒めるという一番大切なことを忘れていました」

 そして、私は手紙に書いた様に、「私は、これから皆さんとの接し方を変えます。その代わりとして、皆さんは私に嘘だけは付かないでください」と伝えた。

すでに午後1時を過ぎてしまっていたため、この日のミーティングはもう終わりにしなければならなかった。

私は、「もう、私は行かなければなりませんが、もし、何かありましたら、また、次のミーティングで話をしましょう」と伝えた。

ラホは、「これで工場長と和解したのだから、皆でお礼を言いましょう」と従業員に呼びかけ、「マーサンタイ」(ソマリア語でありがとう)と合唱してくれた。私は立ち上がり、ラホから順々に1人1人と握手をし「ごめんね、ありがとう」と頭を下げながら、輪を一周した。そしたら、ムードメーカーのエボ(男性、50代)が「私たちは過去の事は忘れます。だから、工場長も過去の事を忘れてください。私たちは、工場長が日本にいようが、ナイロビにいようが、一生懸命仕事をしますから」と自分の手を胸に当てながら、ソマリア語で言い寄って来た。私は、「わかりました」とエボの肩を抱き寄せた。

ラホが「工場長。この前、私たちを昼食に誘ってくれましたが、それは、今日は駄目なのでしょうか?」と照れ笑いを見せながら話しかけて来た。私も笑いながら「今日はもう行かなければ行けないけど、次のミーティングの時にしょう」と返答した。
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信頼

従業員がいう、信頼。

でも、彼らは、信頼関係は、どのように気づいていくか、を理解しているのでしょうか?

まず、偽り、嘘が何度かあった場合、信頼してもいいのでしょうか?

日傘、これも、簡単にいいますが、日傘を手に入れるには、お金が必要。会社として、その日傘を購入するには、予算の中から購入、ということになるが、その予算が減ってしまったら、工業運営に支障がでるかもしれねい、このプロセスを従業員は、わかっているのでしょうか?


言葉でいうのは簡単ですが、その、結果に至るまでのプロセスを、しっかり、理解してもらえたら、いいですね。

従業員が働いてもらった給料の中から、家族4名を養う。それだけでも、大変。
が、突然、日傘が必要になり、買おうとおもうが、給料の余裕がない。
あなたなら、どうしますか?

みたいな、彼らの生活の比喩を使って、話をしてあげないと、きっと理解したくない、態度をとる気がします。


こちらの人たちって、自分が認められないと、文句ばっかり言いますよね・・・私は、それを、必要のないプライド、と個人的に呼んでおりますが。。。。。

本当に、素直な人が少ない、ひねくり返って、他人にどう思われるかだけは、すごく気にする。


私は、女性でありますが、必要なときは、年上の男性であっても、叱ってましたし、注意も促してました。仕事上。でも、彼らからしたら、年下の女性に、喝を入れられること自体が、不名誉のようですね。まして、それが、誰か、周りに人がいるところでだったとすれば、なおさら。

くっだらなかったです。彼らの文句を言い返してくる内容が。


がんばってくださ~~~I.

本当の笑顔を忘れないように、作り笑顔はホドホドでいい、とおもいますよ~~~~~。
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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