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腹心との出会い

 昨年10月から私の右腕として大活躍しているモウリドは、私が2010年3月にダダーブに来て、最初に出会った難民の1人だ。当時、私は国連の若者支援担当として、彼はキャンプの青年組織幹部の1人で、会議で出会った。次の週、私がキャンプを視察に行くと、彼が快く案内役を引き受けてくれ、市場や彼の自宅を見せてくれた。市場のレストランでは、「あなたはゲストですから」と、何度も遠慮する私を遮り昼飯代を出してくれた。

 1987年、ソマリア南部最大の港があるキスマヨで生まれた。両親は雑貨店を経営していた。1991年に内戦が勃発し、市民の大半はケニアなどへ逃れたが、モウリド一家は、店も家も被害が少なく、キスマヨに残った。1997年に父親が病死し、経済的に苦しくなり、母親と共にケニアへ逃れた。「キャンプに行けば、無料で教育が受けられるというのが一番の魅力でした」と言う。

 とにかく勉強が好きだった。中でも英語は得意科目で、キャンプにある唯一の図書館に通っては、英語の絵本を借りて、何度も読み返した。高等学校をトップレベルの成績で卒業し、キャンプの欧米のNGOに就職した。

 就職口が限られたダダーブ難民キャンプでは、30以上ある援助団体は最大の雇用の受け皿 、6000人近くの難民が働いている。NGOで働いてみて、モウリドは、「難民従業員とケニア人従業員の格差に驚いた」と振り返る。給料は5倍から10倍の差があり、団体のお金や事務所の鍵の管理は難民従業員に任されることはなく、仕事が残っていても、ケニア人従業員が事務所を出る時に、出なければいけなかった。ケニア人従業員が受けられる社内研修も、難民従業員は受けられなかった。

 モウリドは、私が若者支援担当として提案した「ユースフェスティバル」の案に、最初から同調した数少ない若者の1人だった。私は、難民の若者たちでできることは、若者たちだけでやるべきだと思い、「援助団体に頼らない、若者たちの、若者たちによる、若者たちのためのフェスティバルを開きましょう」と提案した。ダダーブでは20年間、難民の日、環境の日、マラリアの日、国際女性の日、など記念式典が援助団体のお金で催されてきた。若者たちの中には、「なんで、自分たちだけ、お金を出さなければならないのか?」と不満が上がった。

 それでも、何人かは、「もう20年も援助団体から支援を受けたおかげで、私たちにもそれなりの能力が身に付いた。これからは、自分たちの足で歩いていけるよう、努力すべき」という画期的な考えを持った若者たちが出てきて、3つあるキャンプすべてでフェスティバル実行委員会が結成された。モウリドも、一つのキャンプの実行委員長となった。

 しかし、援助団体からお金をもらわないということは、それまで青年組織に与えられた、ある意味「特権」と決別することを意味し、それに反発する若者たちからモウリドは嫌がらせを受けた。ある日、私とのミーティング後、そこに居合わせた別の幹部からは、「お前は、もう幹部リストから除名したから、話をするな」とまで言われ、モウリドは、泣きながら「何か問題があるなら、全体ミーティングで話し合おう」と呼びかけた。

 様々なハードルを乗り越え、フェスティバルで歌や踊り、劇をボランティアで披露してくれるグループを探し歩き、企画書を作った。当日必要な道具を手配し、会場まで運搬する手続きをした。そうしているうちに、「それまで援助団体に頼り切って来たことも、自分たちにもできるということがわかり、どんどん、引き込まれていきました」という。

 作り上げたフェスティバルの企画書をNGOとの合同会議で発表した。10以上の団体が集まり、モウリドが司会進行役を勤めた。「それまで、自分より階級が上だと思っていたNGOの人たちが、私たちと肩を並べて座り、私の提案に耳を傾けてくれたこと事態、初めての事だった。さらに、私を会議の進行役として認め、発言する時は挙手して私に許可を求めて来た時、それまで失われていた自尊心を取り戻した気がした」と当時を振り返る。

 そして、フェスティバル当日、それまでのどんな記念式典に集まった人よりも多くの若者たち(約1000人)が集まり、相撲大会など、様々なパフォーマンスに見入った。次の日の打ち上げでは、「他の援助団体で働く友人が『自分たちの援助団体が率先した記念式典なんて、あのフェスティバルに比べたら、ちっぽけなものだった』って、嫉妬してましたよ!」と無邪気な笑顔を見せた。

 モウリドが、ライフラインに入って5ヶ月。すでに、なくてはならない存在となった。それまで、従業員たちの利益を代弁することしかできない主任が調整役だったため、ひっきりなしにくる従業員たちからの要求、一つ一つに私が答えなければならなかった。しかし、モウリドは、団体側と従業員側の双方の利益を天秤にかけることができるので、私が言おうとしていることの半分以上を、彼がソマリア語で直接言ってくれるため、私にかけられた負担は半減した。

 今度は、彼とどんな「フェスティバル」が開催できるのか、楽しみだ。
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プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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