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私にとってのアメリカ

ライフラインの年次総会出席のため、4月27日、本部があるワシントンDCの国際空港に到着。高校、大学と5年半を過ごしたアメリカに10年ぶりの再訪。私にとってのアメリカとは、ルーズで、寛容的で、それでいて傲慢。

1996年、15歳で交換留学生として渡米した際、男性入国審査官は、「何を勉強しにきたの?ウェルカム、エンド、グッとラック!」と励ましてくれた。彼にとっては何気ない一言でも、新天地での生活への不安で一杯だった自分にとっては、忘れられない一言となった。

  米中西部オクラホマ州の公立高校に留学したのだが、ある日、アメリカ史の自習時間で、後ろから消しゴムを投げてくる奴がいた。「ストップ!」と私が言っても、投げ続けてきたので、短気な私は、机を立ち上がり、彼の顔面を殴りつけた。そして、私はそのまま机に戻ろうとしたら、彼が私の襟をつかみ、殴り返してきた。そのまま二人とも5日間の停学処分を告げられ、学校を早退した。

 夕方、ホストファミリーの家に学校から電話が来た。「停学処分は取り消す」という。ホストマザーの話では、私のクラスメートたちが、校長先生に「ヨーコーは悪くない。他の国へ行って、消しゴムを投げられたら、誰だって怒るはずだ」と申し出てくれた。英語があまりできなかった自分は、当時、そんな親友がいたわけでもなかった。つまり、私個人を守るというよりも、クラスメートたちは「留学生」というマイノリティーに対する校内の差別的行為に、憤慨したのだった。

 入国審査官の歓迎の一言も、クラスメートたちの申し出も、日本ではあまり体験することのできないもので、多民族国家アメリカの強さみたいなものを肌で感じた。

 しかし、今回の入国審査は違った。筋肉ムキムキの入国審査官の体格は16年前と変わらなかったが 、カウンターに来た自分に「所持金は?クレジットカードは?入国目的は?」などと疑心暗鬼に満ちた質問を浴びせた。15歳と31歳の私の人相が変わったからだと思う人もいるかもしれないが、残念ながら、当時の私の顔は、今と変わらない彫りの深さだった。

 午後2時半に市内の宿舎に着き、そのまま、市内を歩き回った。宿舎近くの大型スーパーに水を買いに行ったら、レジの女性がポテトチップスを食べながら、仕事をしていた。「市内地図はどこで買えますか?」と女性に尋ねたら、後ろに並んでいた男性が「3ブロック離れた所にあるよ」と教えてくれた。

 テロとの戦いで入国審査は厳格化しても、日本にはない、仕事に対するルーズな感覚も、見知らぬ人に話しかける人懐っこさも、変わっていなかった。16年前、当初は1年間の滞在予定だったのが、日本の高校に退学届けを出し、留学先の高校にそのまま残る決断をした自分が、なぜアメリカにそこまで惹き付けられたのかを思い起こさせてくれた。
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プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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