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過去の冷たい自分と向き合う

ワシントンDCでの出張が終わった後、私は、飛行機で3時間かけて、中西部のオクラホマ州第二の都市、タルサへ向かった。12年目に入った私の海外生活が始まった思い出の場所である。

タルサ訪問の最大の目的は、交換留学生として来た私を2年間、本当の息子の様にお世話してくれたホストマザーのお墓参り。1996年、東京の留学生派遣団体 「アユサ」を通して渡米した私は、タルサ空港に到着してすぐホストファミリーを紹介された。ほとんどの留学生は、渡米数週間前にホストファミリーが決まり、ある程度、電話や手紙で連絡を取り合ってから、新天地での生活を始めた。しかし、私の場合は、手を挙げてくれた家族の家が火事になるなどで、結局、最後の最後まで決まらず、どんな家族と暮らす事になるのか全く情報がないままの渡米となった。

紹介されたホストファミリーは、「ジョディ」と「トム」と名乗る30代の中年夫婦と、それまで見た事もないような巨体で、車いすに座るフランシス。彼女の腕は私の頭ほど太く、体重は150キロ以上に見え、白髪で肌にしわも目立つ。53歳らしいが、70代くらいに見えた。英語が全くわからなかった私は、何やら英語で私に話しかけてくる3人に、適当に「オーケー、オーケー」と返した。まともに歩く事ができないフランシスを見て、ジョディとトムが私の主な世話役になるのだろうと勝手に想像した。

3人に家まで連れて行かれ、部屋やトイレなどについての説明を受けた後、ジョディとトムが「バーイ」と家を出て行ってしまった。私は、何が起こったのか理解できず、「2人はどこに?」とたどたどしい英語でフランシスに尋ねたら、「彼らの家」という返答が来た。ここでようやく、私は、車いすで巨体の老女と見知らぬ土地で2人暮らしをすることになった現実に直面した。

リビングからトイレまでの数メートルを歩くだけで、「ゼー、ゼー」と息を切らし、シャワーもあまり浴びることができないから、一緒に車に乗ると彼女の体臭が鼻を突いた。

当時、自分の親とさえそんなに会話を交わさなかった私に、突然、「ホストマザー」と紹介された女性に心を開くこと事態、至難の技だったが、車いすで巨体となればなおさらだった。「ありがとう」や「おはよう」などの簡単な声かけさえ億劫だった。

 無口だけならまだいいが、私は数々の問題も起こした。夜中にフランシスの車で勝手に高速道路を暴走して、エンストさせ、レッカー車で帰宅したり、音楽を大音量で聞きながら運転し、スピード違反をしていた私を追いかけるパトカーのサイレンに気付かず、逃走車と勘違いされ、計4台のパトカーから挟み撃ちにされたりした。そんな問題を起こす度、フランシスは私を怒るどころか、「おもしろいことしたね」と逆に楽しんでいるようだった。 クラスメートとけんかをして停学処分を食らった時は、「ちゃんと、手加減せずに殴ってきたの?」と笑い飛ばしていた。

そんな問題児を、息を切らしながら毎朝、毎夕、4キロ離れた学校の送り迎えをしてくれ、年間30試合以上ある野球部の試合は毎試合観戦しに来てくれた。学校の宿題を手伝ってくれたり、夏休みには、1400キロ離れたグランドキャニオンまで車を運転して連れて行ってくれた。 当初は1年の滞在予定だったが、日本の高校に戻るのが嫌だった私を、フランシスは快く2年目も引き受けてくれた。

そんな恩人に対して、私は感謝の気持ちを表すどころか、「なぜ、こんな太った人の家を割り当てられたのだろう?」という自分勝手な被害者意識しかなかった。クラスメートから「ホストマザーがものすごく太っているのだって?」と馬鹿にされた時も、野球部のチームメートから「本当の母親じゃないから気にしない」と慰められた時も、「フランシスは素晴らしいホストマザーです」と言うことはできなかった。

アメリカの大学へ進学した後は、フランシスから電話はあったが、こちらから電話をすることは滅多になかった。何度かオクラホマを訪れたが、友人との時間を優先した。2002年にアメリカを去った後は、ほとんど連絡を取る事がなくなり、2004年11月にフランシスが糖尿病と口腔がんで亡くなったことさえ、友人を通して1年経ってから知った。それでも、それまで全く連絡してこなかったことに対する罪悪感で、オクラホマに行く気にはどうしてもなれなかった。

その後も、こちらからジョディに連絡することはなく、昨年の震災で、数年ぶりにフェースブックを通してジョディから連絡が来た。

ワシントンDC出張が決まった時、私は、真っ先にオクラホマ行きのチケットを手配した。過去の冷たい自分と向き合える時が、ようやく来たのだと思った。
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プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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